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一流の金言

肌寒くなってきた今日この頃。

サイズアウトした子供服を片付けていると、子供の成長が少し寂しいシャチョウです。

目の前で期末試験の勉強をしている次男は(目安箱)を(百葉箱)と書いて間違っている模様。なぜ?

 

今回のテーマは「座右の銘」、過分に主観が含まれるけれど早速本題。

 

社長業をするようになって、相当数の大先輩経営者や一流と呼ばれる人に会ってきた。

長期的に結果が出ている人の話をじっくり聞く、その所作も含めて観察するのが好きなタイプではあるが、一流のビジネスマンや経営者は誰しも総じて「気が利く」と思っている。社長という立場にある以上、組織内では総合的な知見やスキルは圧倒的にNo.1であると自負しているものの、気が利くとは≒相手の求めていることを先回りして行動する≒観察力、洞察力と言い換えてもよく、まだ若く説明が辿々しいセールスマンであっても、スマートな気遣いを感じると未だに自省することが多々あるものだ。

 

私の父も会社の創業者であり、私も幼少から例に漏れず、一流の経営者としての「親父の背中」をみてきた。(我が父親ではあるが一流だと思う)とても厳しい父親で、幼稚園児の私にも常に「人に気遣いをしろ」「金は使えば減るが、気を使っても減るものはない」と言っていたし、母に対しても「借金取りが家に来たとしても愛想よくしろ」とこのご時世だと何とかハラスメントと言われるぐらい「気遣い」に対して厳しかった。

 

ビジネス上「人に気遣いを」という言葉だけをみると(損得勘定や打算的考え、自己満足、ある種の媚を売るようなイメージ)があるかもしれないが、全くそういう類のものではなく、気遣いのレベル=シンプルに自己理想の高さではないかと考えている。

 

「相手を思うということは常に考えること」を放棄できないし、正解が未定義で且つ終わりがなく、自己を批判する大きなエネルギーが必要でもある。多少の齟齬があるかもしれないが、大抵の場合は気が利かないことに対して悪気がない、これが最も悪であって、ほんの少しの気遣いすらできないということはただただ気が抜けている、責任感の欠如、自分に甘く理想が低いということではないだろうか。気が利かない人間と仕事をすると、相手の顔色や言動を観察する能力が低いことが多く、向上したいと口ではいうがなぜか向上心がない。「そういうところではないんだけどな」とニーズすら掴めずに結果うまくいかないことが多い。

 

かなり前に帝国ホテルのサービスの教訓について、顧問である藤居寛氏が書いた記事を読んだことがある。

 

「100−1は99ではなく0である」

 

要約すると、お客様をお迎えしてお送りするまでの間で、どこか1つでもミスがあれば他でどんな素晴らしいサービスをしても全て台無しである。信用、ブランドを構築するには10年かかるが、ブランドを失うのは10秒。そして失った信用、ブランドを盛り返すにはまた10年かかる。

 

たった1つのミスが命取り、それに気づくか、否か。

 

まだブランドなんぞ語るのは烏滸がましく100年早いけれど、日々自省と進歩がみえる組織でありたい。

 

ボクシングの試合後、敗者の那須川天心さんが「人から色々言われるだろうが、自信を持って仕上げてきたし、やりきって悔いはない。明日からも人生は続くし、堂々と生きていく」と言っていて、また自省する次第。

 

ではまた。

 

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この記事を書いた人宜本 繁紀 社長 兼 CEO
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福岡県北九州市出身。
手元にあるお金は全てレコードと服に費やし、バイトとマリンスポーツに明け暮れる学生時代を過ごす。現在グループ6社、200名超の経営労務と法人の不動産ポートフォリオ構築、各種コンサルに長年に渡って携わる。インテリア全般にも造詣が深いが、イルマリ・タピオヴァーラの醸し出すムードが好き。
憂鬱はデフォルト、常に寝不足。

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